最近はタイトル通り、“悔しい”という感情が見える人が気になっている。
その時その時で、自分へ今強くメッセージを送っているものは違うけど、最近はこのメッセージを意識している感じがある。
そんなアンテナを張ってると、関連するものがビビビと入ってきたりする。
スポンサーリンク
先日行われた、フィギュアスケートの世界選手権。
フィギュア観戦大好きなわたしなので、5日間のテレビ中継はほとんど観てました。
その中で、次世代エースと言われる宇野昌磨選手がフリー演技後に見せた“涙”です。
ジャンプでコケてしまい、悔しさのあまりに点数発表のキスアンドクライにて、抑えきれずにつたう涙は、あまりに純朴でキレイで心を奪われました。
あんなに悔しさをさらけだせるのは、「若い」だけなのだろうか、、、
人はみんな、小さい頃ひと目も憚らず泣き叫んでいたはず。
それが時を経て、たくさんの経験を積み重ね、人前で涙を見せることが少なくなっていくもの・・・
しかしあんなにキレイな悔し涙を目の当たりにしたら、応援したくてたまらなくなる。
「次頑張ろう!」「次はいける!」って気づいたら応援してる。
感情をさらけだすことは、共感をもたらす天然の武器なのかもしれない。
もうすぐ30歳を目の前にして、「若い」からは少し遠ざかってきたけれど、「若さ」は失わずにいたい。
かつての浅田真央ちゃんも、悔しさをさらけ出せる人だった。
今や全国民からとてつもない好感度を支持しているくらいだ。
真央ちゃんは、先日の世界選手権フリーの演技後「点数というより、日本の良さが伝わるような私なりの滑りがしたい」というようなコメントをしていた。
悔しさより楽しさが上回ってきてる!!!
これはもう引き際なのかと思ってしまった。。。
同じようなコメントを昨日、水泳の北島康介選手からも出てた。
オリンピックの選考には届かず、「自分なりの泳ぎがしたい」と。
立て続けに、プロのこの言葉たちは、宇野くんの涙とは別次元にいっていることを物語っているような気がした。
勝ち負けの世界では、“悔しさ”が一番人を育むのではなかろうか。
かつてサッカーの本田圭佑選手は、「子供にも一切容赦しない、本気で闘う」とテレビで言っていた。
本人が幼い頃経験した、「父親にはどうしてもかなわない“悔しさ”が今を作っている」と続けていた。
振り返れば、自分にだって“悔しい経験”はいくつかある。
そんな苦い経験の方が、記憶に残りやすいのも確かだ。
悔しさをバネに何度も挑戦した結果に掴んだ時の嬉しさといったら、言葉では伝えきれないものだ。
それを繰り返し、人の幸福度は上がってゆくのかもしれない。
こんな言葉を聞いたことがある。
二流は過程にこだわり、一流は数字にこだわる。
一流な人は一番じゃないと意味がない。銀メダルや銅メダルじゃ意味がないのだ。
常に金メダルを目指し、日々精進する。
あの羽生結弦選手だって、銀メダルの時はさほど嬉しくなさそうなのがわかる。
彼にとって、金メダルじゃないと意味がないのでしょう。
孫正義さんの私の大好きな言葉がある。
それは、「一番を取るクセをつけろ!」だ。
私もある大会で一番を取ったことがある。
その感情といったら、この上ない嬉しさや幸福感にみまわれる。
それを体験したら、麻薬のようなやめられない感覚と等しいのかもしれない。
苦しかった思い出はいつまでも消えないのに、嬉しかったり楽しかった思い出は、儚くも忘れゆくのだ。
忘れないのはその超越した時の喜び。
そんなこと人生であんまりないんですよね。
自分で作っていかないと。
悔しさや苦しさを乗り越え、超越した喜びを一つでも増やして死にたいと思うのです。
だから今日も私は一番を目指して、日々精進して生きる。
人生案外、それだけなのかもしれない。
だって人間一人で死んでいくんだからね。

